〜ロボコンの日々とぼく〜

D4 17 佐藤みどり

[16.Dec.1996]


もくじ
ロボコンとの出会い

長澤先生との出会い

Rug Warriorとの出会い

Big Warriorをつくろう!

MOTCNT回路からはじめよう

けがきってなに?

高専祭でお披露目

次はセンサー

無事!? 4年生進級

10
ついにテーマ発表だ! アイディア発表!!

11
ロボコン挫折!? メロンはみんなでわけなくちゃ

12
さあ、Control Boxだ

13
涙のBasic Card基板

14
ついに若樹誕生

15
バグは果てしなく起きる!?

16
ぼくのお気に入り、シルバーちゃん

17
地区大会がやってきた!!

18
グレードアップするの

19
秋の日の夢、国技館・・・。

20
そして、今

感想の目次へもどる



   



1.ロボコンとの出会い

ぼくがロボコンと出会ったのは、中学生のときだったです。もう5年くらい
むかしのことなのかなぁ。沼津高専のΛ型ロボットに感動して、絶対沼津高専
に入ろうって思ったんだよね。そのときは本当にロボコンに参加するなんて
思ってもなかったなぁ。夢のまた夢状態だった。

もくじへ




  


2.長澤先生との出会い

夢を持続させながら、ぼくたちは3年生になりました。そこでぼくたちは初め
て長澤先生と出会ったんです。D3の担任だった長澤先生と出会えたことは、
ぼくたちロボコンチームにとっても、ぼく自身にとっても宝物にしたいくらい
大切なことだと思ってる。先生がいなかったらぼくたちもいなかった気がする。
ぼくたちはとりあえず担任の先生に「ロボコンやりたいんです〜」って言いに行
った。それからぼくたちの長澤研通いが始まったんだよねぇ。

もくじへ




  


3.Rug Warriorとの出会い

1年間勉強することになったぼくたちにD科はRug Warriorを買ってくれた。
そのときはこれがロボットにこんなに影響を与えるなんて思ってもなかった
んだけどね。とりあえず、みんなで何しようか?って考えてるよりは作ってる
ほうが楽しかった。でも、マニュアルは英語だったんです。ショックだった。
ぼくたちは英語が理解できなくって、悪戦苦闘しまくった。電池ケースの付け
方がずーとわかんなくって2日くらい考えてわかったとき、すごっくうれしか
ったっけ。それからみんなで競争するみたいにソフト作ったんだよねぇ。ぼく
が初めて作ったプログラムはBumper Switchを押したらよけるってやつだった。
押して下がったとき、演習室ですごっく騒いじゃったんだけど、それくらい
うれしかったんだ。

もくじへ




 


 4.Big Warriorをつくろう!

Rug Warriorに飽きてきた頃、先生が次の段階に行こうって言ってくれた。ロボ
コンに出場するロボットの規定で駆動系を作ろうってことになって、Rug Warrio
rの巨大バージョンBig Warriorを作ることになったんだよね。そこでぼくたちは
モータ探しから始めたんです。そこで目をつけたのが車のパワーウィンドウのモ
ータだった。そこで木下くんと大空くんと堀内くんは車の解体に行ったんだ。で
もぼくは危ないからって置いてかれた。ぐずってるぼくを見かねて先生が”いい
こと”を教えてくれた。それがプリント基板CADだった。ぼくはめちゃめちゃ
感動しちゃった。だってすっごくきれいに基板が作れるんだもん。ICのpin
の数とか指定できちゃうんだもん。ぼくが4年生になってエレキの責任者になり
たいって思ったきっかけはこれにあると、ぼくは思ってる。

もくじへ




 


5.MOTCNT回路からはじめよう

Big Warriorを作るにあたってモータを制御する回路が必要になって、作ることに
なった。それがはじめての基板MOTCNT回路なのだ。これはかなり苦労した。
でもほとんど先生に聞きまくってた。PWM制御を理解するのにだいぶかかった。
このとき一番苦労したのは、”重ならないように配線すること”。これは基板を
作る度にぼくが泣かされたことです。でもこの基板、時間がかかっただけあって
かなり愛着があるんだな。今でもつらいとき、このパターン図を見て、元気なった
りする。懐かしい思い出かな。

もくじへ




 


 6.けがきってなに?

回路もできて、さて本体を作ろうってことになってぼくたちを襲ったすごい疑問が
あった。”けがき”ってなんなんだ?ってこと。先生に注意されるまでぼくたちは
目分量で位置を決めてねじ穴とか開けていた。これのせいで一日中やすりで削った
日とかあった。今すごく反省している。そのときけがき針の重要性を心に刻んだ。
でも、みんなで競争とかして結構楽しかったりしたんだけどね。

もくじへ




 


 7.高専祭でお披露目

Big Warriorの完成目標は高専祭でお客さんに見てもらうことだった。ところがぼく
たちの計画は甘かった。高専祭1週間前になっても出来上がってないんだもん。も
う毎晩10時くらいまで頑張った。おかげでなんとか間に合ったけど。高専祭では
結構ちびっこにうけてて、ぼくはちょっとうれしくて、それでちょっと誇らしかった。
ぼくみたいに高専に入りたいって、このちびっこたちが思ってくれるようなロボット
をつくるよって心にひそかに決意してしまった佐藤みどり18歳の秋だった。

もくじへ




 


 8.次はセンサー

Big Warriorを走らせるという第一目標をクリアしたぼくたちは、つぎにセンサー類
をつけて制御しようって思った。Bumper Switch、IR Emitter、Photo Sencerをつけ
ることにした。Bumper Switchは並列接続にしたんだから。これも大変だったんだ。
これで大丈夫って思ってつけても全然うまくいかなかった。何度もやり直してやっと
出来たときはほっとしたっていうかなんていうか。この技術はぼくたちのMIRSに
使われてるんだ。ちょっと、いやかなりうれしい。それに比べるとIR Emitter、Phot
o Sencerをつけるのは楽だった。けど、精度がでなかった。プログラムを組んでもぼ
くたちのいうこと聞かないんだもん。さびしかった・・・。このころぼくたちはおや
つを食べるという習慣がついた。クッキーとかチョコとか。空き箱をねじ収納箱にし
たりしたの。今でもその箱見ると、そのときのこと思い出せる。

もくじへ




  


9.無事!? 4年生進級

そんなこんなでぼくたちは4年生になってしまった。あっという間だったなぁ。さあ、
これからが本番だって思ったけど、テーマが出るまで何しようか、またみんなで迷った。
テーマが何か予想大会とかしてみたりした。それから下級生に募集をかけてみた。異常
にたくさんの子が来て、ぼくたち4年生は正直驚いた。ぼくはどうやって接したらいい
のかなんて困ってみたりした。う〜ん、本当最初メモ帳の使い方から教えたんだもねぇ。
みんな成長したなぁなんてちょっとおねえさんぶって考えたりするとおもしろい!?

もくじへ




 


 10.ついにテーマ発表だ! アイディア発表!!

前期のテストの途中、ついにテーマが発表になった。長澤先生が寮まで持ってきて
くれたとき、ぼくはもうわくわくしてその日は勉強しなかった。だってずっと待って
たんだもん。”テクノカウボーイ”名前はちょっと・・・って感じだったけど、ぼくは
どんなロボットにするかめちゃめちゃ考えた。やっぱ自動制御でアイディア賞がぼくの
夢だったから。ぼくは倒し型を提案してみた。でもアイディア発表会をやってビックリ
した。だって下級生の出してきたアイディア、無理が結構あったから。4年生で毎日
何ていって説得しようか・・・。って考えた。うまく納得してもらうのに結構時間がか
かったなぁ。それでやっとぼくたち”ひとりでできるもん”を作ることに決まったんだ
なぁ。いっぱい実験したなぁ。針金とか買ってきて。でもこの日から計画書づくりが
始まったんだよね・・・。つらかったよ〜。

もくじへ




 


 11.ロボコン挫折!?  メロンはみんなでわけなくちゃ

ぼくはエレキの責任者になって、でもこの時期自分の能力に限界を感じてしまったんだ。
エレキの下級生の質問にうまく答えられない、どうやって仕事を分担すればいいの?
下級生にはどの程度まで任せるべき?もう頭の中パニック状態だった気がする。
パニくってるところに設計書の期限は迫ってくるし、でも回路はどうしたらいいのかわか
んないし。こんな状態になってしまってぼくはロボコンの組織から抜けようと思ってしま
った。簡単なこと、楽なことに逃げようとした。このとき先生に言われた言葉。
”メロンはみんなでわけなくちゃ”メロンはみんなが欲しがるもの、だからみんなで分け
る。それと一緒、楽なこと=メロンなのだ。だからみんなで分けて、つらいことはみんな
でどうにかしていく。ぼくは結局辞めなかった。だからうれしい思いもたくさん出来た。
ぼくを辞めさせなかった先生、大空くん、堀内くんにすごい感謝してます。

もくじへ




 


12.さあ、Control Boxだ

ぼくたちはまず、Control Boxを作ることにしようかってメカ、エレキ、ソフトで話し合っ
たんだけど、この話合い、なんか各部門で話がすれ違っていたんだなぁ。もっとしっかり
話をしていれば、後になって改造をたくさんしなくて済んだんだなぁって思うと後悔して
しまう。ぼくたちは最初3台のロボットを制御するつもりだったから、エレキで作った回路
はとっても大きいものになってしまった・・・。ここで両面基板にするか片面に無理矢理
入れるか迷った。でも結局片面に入りきらなくて、両面にしてみた。ぼくはControl Boxは
1年生の島村くんに任してしまうことにした。このときからエレキ部門の中で専門がある
ようになってきたんだな。もっと早くこうすればよかったってぼくは思ってる。ぼくはこの
ボードの仕様書を書くために初めてHTMLを作った。これが慣れてないから異常な程時間が
かかってしまった。もうちょっと勉強しておけばよかったなって反省してみたりなんかする。
そんなこんなでControl Box基板は夏休み半ばで出来上がった。島村は頑張ったなってほめて
あげたいと思います。

もくじへ






 13.涙のBasic Card基板

ぼくは、Control Boxの仕様書を仕上げてからRug Warriorの拡張ボードの役目をするBasic 
Card基板を担当していた。これがまた大変だった。Basic Cardは、Encoder回路、Relay
回路、MOTCNT回路などが組み合わされたボードです。決められたサイズの中に回路を入れる
のが考えていたように簡単にはいかなかったんです。毎日CADの前でこのICのPinの間
に線が通るかなぁとかGNDのベタはもっと大きくとりたいなぁとか悩んでた。で、だめだ
と、”先生、どうしよう”って先生を頼ってばっかいた。ぼくはこのボードを清水くんと作
っていた。パターンが出来てふたりで飽きるくらい導通チェックした。それでもバグは起きる
ものなのだ。ぼくたちはFETのPin番号を勘違いしていた。ここで多数のジャンパー線が
つけられることになってしまった。それに駄目押しのバグ、コネクタの下にランドを作って
しまったのだ。このせいで60本近いジャンパーがつけられた。ショックで涙が出てきてしま
った。このときはあまりにひどすぎたので先生が手伝ってくださった。神様みたいだった。
ぼくたちはこの時ほど、”バグを憎んで人を憎まず”という言葉をありがたく思ったことは
ないと思う。とにかくBasic Card基板Rev1は夏休み中に出来上がったのだ。

もくじへ



 


 14.ついに若樹誕生

そんなこんなであっという間に時間は過ぎていき、やっと第1号機が出来上がったんだ。この
日は偶然にもぼくの誕生日だった。今年のぼくはこのことが最高のプレゼントになりました。
Control Boxで操作したとおりにロボットが動くのはとってもうれしいことです。なんか今ま
での苦労がどうでもよくなるようだった。ぼくたちはこのマシンを”若樹”と呼ぶことにした
っていうかぼくがそう呼んでたらみんなそう呼ぶようになってしまったというか・・・。
だって支柱の釣竿にそう書いてあったんだもん。でもこの感動の長続きはしないのだ。ソフト
の評価をするためには、若樹の完成は遅すぎてしまったらしい。若樹はぼくたちの思惑どおり
には動いてくれなかった。突然の加速に倒れそうになったり、もうひやひやの連続だった。
祈るような思いで自動制御できることを願っていた。


もくじへ




 


 15.バグは果てしなく起きる!?

夏休みも終わってしまい、ぼくたちは切羽詰まってきた。時間がなさすぎるー!!と、いう状
態に悩まされた。そこに追い討ちをかけたのが前期期末試験だった。ぼくたちはロボコンのせ
いで成績が下がったなんて言われちゃいけないよって先生に言われてきたので、テストは頑張
った。テスト期間中は作業禁止だった。やっとテストが終わってロボコンの仕事が出来るって
状態になったとき、すごいうれしかった。ぼくはBasic Card基板Rev2を作りはじめた。
島村にはControl Box基板Rev2を作らせ、榛村くんにはケーブルをたくさん作ってもらった。
みんな1回やってきたことの繰り返しだから簡単だと思ってた。ところがどっこい、次から次
へとバグが発生したんですよ。昨日まではちゃんとしていたのに・・・、今日は動かないなん
てよくあることだった。そのたびにオシロをロッカーから運んで、テスターをピーピー言わせ
た。なんでなんだーって毎日思ってた。この頃ぼくは夢の中でもデバックをしていた。なんか
Resetボタンの音がする!何が起こったんだ?って不安になって、ふと気づくとぼくはベット
の中にいた。あぁ、ぼくは寮で寝てるんだって認識するのに時間がかかった。
でもだいたいいつもバグの原因はくだらないことだった。それが無性に悔しかったんだ。
      

もくじへ




 


     16.ぼくのお気に入り、シルバーちゃん

悪戦苦闘しながら何とかぼくたちは、第2号機を完成させた。この時点でぼくたちは3台の
マシンを作ることと全自動制御を断念するしかなかった。評価の時間が足り無すぎるから。
すごい悔しかった。でも下級生にわかってもらえなくて、もっと悔しかった。ぼくたち4年
生も最初のコンセプトを貫きたかったもん。でもしょうがないことだった。ものわかりのい
い子になってみた。でもぼくはこの2号機が超気に入っていた。だって支柱がアルミでメタ
リックな感じがかっこよかったし、なんていったってすごいきれいな出来のボードが載って
いたから。ぼくはまたもや勝手に名前をつけた。”シルバーちゃん”うーん、いい名前って
ぼくは思ってたんだけど、反対してたみんなもいつしかそう呼んでいた。でもシルバーちゃ
んにも欠点はあったんだな、これが。加速時に左に曲がる、振動に共振してすごく揺れるな
どなど問題だらけだった。だから結局シルバーちゃんは地区大会には出られなかったんだ。
そのぶん若樹に頑張ってもらうことになった。

もくじへ




 


   17.地区大会がやってきた!!

地区大会の日が近づいてきて、ぼくはもうどきどきだった。タイムトライアルは飽きるほど
やったし、ボードも順調だったけど、1回戦で負けたらどうしようとか考えると不安でしょ
うがなかった。メカのお手伝いをしながら、そんなことばっか考えてた。前日に他のチーム
の人達がどんどんぼくたちの学校にきて、スパイ大作戦をしたときも、”この学校アルミ溶
接してるよ”とかそんなとこばっか目についてしまった。でもそんな中でぼくがちょっと誇
らしかったこと、プリント基板を使用している学校が少なかったこと、なおかつ両面基板は
どこの学校にも見当たらなかったこと。こんなことでぼくは大喜びだった。
地区大会の日、ぼくが一番緊張したのは1回戦のときだった。1回戦で勝ったとき、ぼくは
このままいけるんじゃないかって思ってしまった。その気持ちは勝ち進むにつれて大きくな
っていった。決勝戦のとき、みんなでピットのところから見ていた。ハットトリックできな
かったときもうだめかと思ってしまった。でも堀内くんやはせが輪がぼくたちのほうが高い
って言ってくれてぼくたちはまだ優勝できるかもって信じてた。このときぼくは勝ちたいっ
って思った。優勝したいって思った。再試合のとき輪が落ちちゃったけど、信じてた。勝っ
たって分かった瞬間、涙が出てきた。みんなで抱き合って喜んじゃった。うれしかった。苦
しかったからうれしかった。うれしいのに涙が出てきちゃうなんておかしいって思ったけど、
まぁいいや。みんなと喜んだ後、ぼくは誰よりも早く長澤先生のところに行きたかった。
今までのお礼を一番に言いたかった。ぼくは一番の問題児だったから。だから走っちゃった。
先生が喜んでるのを見てぼくはもっとうれしくって、また泣いた。父さんや母さん、D4の
みんなが見に来てくれたこともうれしかった。この日、ロボコンやっててよかったって心か
ら思ったんだ。

もくじへ




 


   18.グレードアップするの

地区大会優勝の興奮で気持ちがふらふらしてたけど、ぼくたちはそう喜んでばかりはいられなか
ったの。地区大会での反省から搭載する輪の数を増やそうってことになった。そこでぼくは、
輪が4つ付けられるようにRelay回路を拡張するRelay Bordを作ることになった。今まで先生
に頼りっぱなしだったぼくは、このボードはひとりで頑張ろうってひそかに心に決めてみた。
このボードは回路が簡単ということもあったけど、今までで一番シンプルにきれいに出来た
ボードだった。おもわずみんなにパターン図を見せてしまったくらい。実験がうまくいった
とき、ぼくは本当にうれしかったっけ。高専祭の日、初めて輪が4つ付いた。お客さんの前で
うまくいったとき、”ねぇねぇみてくれた?”って気分だった。えらくはしゃいじゃったなぁ。
残念ながら全自動制御はあきらめたけど、ぼくたちは自分たちのマシンに自信を持って国技館
へむかったのでした。

もくじへ




 


    19.秋の日の夢、国技館・・・。

意気揚々とぼくたちは全国大会に臨みました。ぼくたちは優勝候補としてちやほやされてて、
ちょっと天狗さん状態だった。でもぼくが何よりうれしかったのは、いつも観客だったぼくが
見せる側になったことがうれしかった。前日のスパイ大作戦のときもぼくたちが勝つことだけ
を考えて偵察していた。三井ゆりの服とか見てた。すっごい余裕だったんだなぁって思う。
でも全国大会当日、悪夢は起きちゃった。本当に夢だったらいいのにって思う。まさかの1回
戦負け・・・。ぼくはシルバーちゃんが止まったとき、Shoot信号がボードに入らなかったんだ
って思った。以前にも同様のバグが起きていたから。ぼくはエレキのせいだって思って、みん
なに申し訳ないって思ったし、何より2年間がこんなところで終わるなんてショックで頭が理解
出来なかった。ソフトの”ひとりでできたもん”を見なければ本当に後悔するって思って、見て
たけど、涙で何にも見えてなかった。みんな泣いてた気がする。先生がすぐ来てくれて、タイヤ
が空転していたって教えてくれた。信じられなかった。事実を受け入れられなくてぼくは国技館
の中をさまよってた。ぼくにとってロボコンがこんなに大きなものになっていたんだなって実感
してしまった。大会が終わって片づけも済んで、若樹が分解されていくのを見て、自分の子ども
を失ってくみたいだった。虚脱感に襲われてしまった。2年間お疲れさまって言われたことが妙
にうれしかった。ぼくは車で帰ったから、国技館でみんなと握手してお別れだった。みんなと出
会えてよかったって思った。車の中で清水やはせが来年のロボコンの話をしていて、ぼくはぼく
の夢を彼らにかなえてもらおうって、彼らに託そうって思った。

もくじへ




 


   20.そして、今

そして今ぼくの手元にはぼくがロボコンをやってきた軌跡としてBasic Cardが残っている。
裏にジャンパー線がいっぱいついたBasic Card Rev1です。ぼくは無理をいってこのボード
をもらった。将来、ぼくの子どもに、ぼくの10代について話してあげたいと思う。ロボコ
ンに惹かれて、たくさんの人と出会って、一緒に苦しかったり、楽しかったりした時を過ご
したんだよって。それはとても素晴らしい時間だったんだよって。ロボコンはぼくの宝物で
す。長い間ぼくを支えてくれた人達に心から感謝したい。ありがとう。

もくじへ


感想の目次へもどる