ネチケットとインターネット
沼津高専 専攻科 制御・情報システム工学専攻 1年 坪井 将幸
- 初めに
ネチケットとは、ネットワーク(特にインターネット)におけるエチケットのことである。これはいわゆるインターネットでのルールとマナーのことである。
これは、決して強制される類のものではない。しかし、インターネットを利用する者として知っておいた方が良いものでもある。
ここでは、ネチケットとそれに関連してインターネットを取り巻く昨今の状況、それに対する私の考えを以下で述べていく。
- ネチケット
インターネットの利用者はここ数年爆発的に増えてきている。家庭から、あるいは職場からを問わず利用者は今後も増加していくことが予想できる。
しかし、利用者が増加すればするほどインターネットを介して他人に迷惑をかけていく人たちも増えていくだろう。また、初心者にとっては、インターネットをどのように活用すればよいのか分からず、知らず知らずのうちにとんでもないことになっていたということもでてくるであろう。
そういった混乱を少しでもなくすために、最近「ネチケット」という言葉がさまざまなところで聞かれる。このネチケットとは、簡単にまとめると次のようになるだろう。
- インターネットは原則として自己責任である。
- 自分から能動的に動かなければ情報は何も得られない。
- インターネットは決して特別なものではない。
ネチケットと聞かれても、はっきりいって何のことだか分からない。最低限知らなければならないことは何かと考えると、上記の3つぐらいのことになるだろう。細かい技術的なことを言っていくと、まるで法律のようになってしまう。そうなってしまうと、誰もネチケットのことについて関心を示さなくなってしまうだろう。
現在のところ、ネチケットについてはっきりと述べている文章はどうも無いように思われる。みんながみんなネチケットについてあーでもないこーでもないといろいろな意見を言っている。ネチケットは何か明確にこれというようなものがあるべきなのだろうか。私は必要のないように思う。
ネチケットはエチケットである。つまり、一般常識で考えてこんなことをしたら迷惑をかけるだろうなということはやっぱりやってはいけないことなのである。そうやって少しずつ考えるのが私は一番のように思う。インターネットを使う度にこれはなんだこのことはなんだと試行錯誤しながら一つ一つ勉強していく。私もインターネットを利用し始めてもう4年は経つ。それでもまだまだ勉強されられることはいくらでもあるし、インターネットを利用する度に新しい発見が生まれていく。
ネチケットについて考えているサイトはいくらでもある。しかしネチケットとは、極論すればみんながインターネットを快適に利用することができればそれで良いのではないかと最近思えてならない。
- インターネット
インターネットは当初、軍事技術として開発されたものだ。しかし、それがやがて民間に開放されると、人々は新たなコミュニケーションの手段として活用するようになっていった。それはまたニュービジネスのチャンスになり、また既存のビジネスをさらに広げていくための格好の手段ともなっていったのである。
現在インターネットは、新しい文明生活を構築する手段として、さまざまな角度からあらゆるアプローチがされている。しかし、インターネットは同時に新たな悪意や犯罪の発生源ともなっている。
私たちが社会の中で生活していくに際して、私たちはそういった悪意といわば同居することを容認しなければならない。そうでなければ、私たちは文明社会で生活していくことは不可能になるであろう。なぜなら、自分と同じ人間は絶対に存在しないからだ。言い換えると、みんなは自分とは必ずどこかしら違っているということだ。
人間の心は善意と悪意から成り立っている。それは、そのうちどちらか一方を否定しようものなら、そのことは同時に自分自身の存在を否定することにも繋がることを示している。つまり、私たちが生活している社会から他人からの悪意や犯罪行為は決してなくならないのだ。それはインターネットについても同じである。
インターネットを私たちがいる社会とはまったくの別物と考えている人たちがいる。はっきりと言う。それはとんでもない間違いだ。インターネットは私たちのいる実世界のいわば鏡である。つまり、実世界で起こることはインターネットの中でも起こりうるのだ。
たしかに、インターネットは実世界とは使い勝手が違ってくる。インターネットでは誰にでも情報を得る権利があり、情報を発信する権利があり、そしてその実行は容易である。だからといって、実世界と区別するべきではない。本質はまったく同じだからだ。つまり、実世界もインターネットも、他人とコミュニケーションするための場所であり機会であり空間であり手段なのである。ただ方法論と利用してきた時間差において違いがあるだけに過ぎない。そして、インターネットで行なわれる犯罪も実世界の一部分であり、それを取り締まるためにまったく別のこと(法律など)を考えなくとも良いのである。
ここではっきりと言いたい。
「インターネットは有害なものではない。むしろ、人間の文明社会にとって非常に有益なものである。」
- インターネットの今後
先日、ネットサーフィンをしていて面白いサイトを見つけた。
ソキウス 見識ある市民のための社会学リファレンス
URL: http://www.honya.co.jp/contents/knomura/
この中に、「社会学の作法・ネットワーク編」というページがあった。
結構膨大な量のドキュメントがあるので読むのはちょっと大変だが、なかなか興味深いことが書いてあった。これは、ネットワークを社会学から見たもので、オンラインへの入門から実際の活用法まで、少し概念的ではあるが読んでみると結構面白い。
インターネットは近い将来もっと生活に身近なものになるだろう。実際にインターネットに対応した電化製品も発売されており、その数・種類はさらに増えていくだろう。そうしてインターネットの利用が生活の一部となっていった時に、私たちはどう対応すればよいのだろうか。
インターネットは老若男女を問わず誰にでも利用することができる。そして、今まで本や新聞などの中でしか得られなかった情報が、インターネットを利用することによってその場にいながら得られ、さらにはその情報に関連付けられたさまざまな情報を学習することが出来るようになる。そうなれば、今まで学習の機会が学校やセミナーなどに限られていたものが、インターネットによってその機会が何倍にもなるでしょう。
ソキウスにもあったのだが、私は現代の人間は生涯学習し続けるという姿勢を持ち続けるだろうと思う。情報を得て、自分で考えて、そうして考え抜いた結論を誰かに聞いてもらって、自分がおかしな考え方をしていないか検証してもらう。そうすることによって自分自身を向上させていくことを続けていくことが出来るだろう。
もっとも、そのためにはある程度インターネットの基本的な使い方をマスターしておく必要があるし、PCだって必要になる。そしてなにより、インターネットを利用するための心得としてネチケットのことも知っておかなくてはいけない。
インターネットは本当に無限の、少なくともさまざまな可能性を持っている。それは自由であるということに由来している。
そのことは、インターネットを利用するものとして、決して忘れてはならないことであり、未来においても尊重されなければならない。私はその気持ちをずっと大切にしていこうと思う。
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