PLAYSTATION、ゲーム業界の革命
1994年12月3日、プレイステーションは発売された。ハードの牽引役はナムコのリッジレーサーであった。
発売当初、こんな声が聞こえた。「家電メーカーにテレビゲームが作れるのか?」であった。しかしそれも今は昔、今やセガサターンを追い抜き、テレビゲーム業界第2位の地位にのぼりつめたのだ。
プレイステーションはいろいろな意味で、価値あることをゲーム業界にもたらした。
ゲームといえば、任天堂のファミリーコンピュータを思い浮かべる。それと同時に、テレビゲームは子供に愛されてこそ普及する、という常識が浮かぶ。これは真実であるが、SCEはゲームユーザーは子供だけではないことを証明した。彼らは最初から、おしゃれに気を使うような年代以上の、日ごろそれほどゲームと縁がない人、そういったマニア層以外の人をユーザーにすることに重点を置いていた。そして1996年は、SCEのそんな戦略が正しかったことを証明する年になった。SCEの登場によって、ゲームはかなり日常的なものになった気がする。この二つをとってみても、SCEの功績は大きのではないだろうか。
その外にも彼らは流通に大きな革命を起こした。任天堂と同じ事をしていてはまったく勝負にならない、ではどうすればよいか。玩具流通は任天堂に支配されている、ならば他の経路を考えねばならない。そして彼らが出した答えは、自分達が問屋にもなってしまおうであった。これはテレビゲーム業界始まって以来のことであった。そのために記憶媒体はCD-ROMを選んだ。CD-ROMならば生産期間も短くでき、コストも安く、均一にできる。そして生産のスピードを生かして、リピートを中心にソフトを供給すれば、市場に在庫は出来ないと考えたのだ。
任天堂関連のハードの記憶媒体はカセットロムである。カセットロムには半導体が必要で、半導体市場の価格の変化によって、ソフトを作るときの製造費が変わる。また、その調達、製造の期間はCD-ROMに比べて時間もかかる。もちろん、半導体の調達をスムーズに行うことができれば、こまめなリピートにも対応できるのだが。これは結構難しいかなー。また、製造期間が長いため、2ヵ月ぐらい前に注文をしなければならず、実際の市場の反応が分からないのだ。(もちろん何が売れるかなんて、元々分からないのだけど。)そのため、見込んだ数字が狂うと在庫を抱えることになるのである。
任天堂もこの対策として、社内にマリオクラブ(100人くらいの一般の人でできているソフト評価部隊)というものを作り、点数やコメントなどをもとにして、ゲームの練り直し、問屋へのアドバイスを行っている。この評価と実際のソフトの売れ行きはかなりの精度で一致しているらしい。任天堂製のソフトに関しては、その評価の結果を公表している。また、初心会に随時売れ行きを調査させたりと任天堂もいろいろしているのである。(そのほかにもしているけど。)
ゲーム業界で繁栄するには、この在庫にどう対処するかが極めて重要な要素なのである。これを制する力があるのは、後にも先にも、任天堂とSCEだけだろう。
ふたを開けてみると、SCEの戦略はすべてうまくったわけではない。今では一発売り切り体制になり、従来の流通とあまり変わらなくなってしまった。(ビヨビヨ、アークザラッドあたりからかな)しかし、流通、小売店の意識改革には成功した。任天堂が築き上げた流通のシステムでも、きちんと仕入れをすれば、利益が出ることも分かったのである。任天堂の初心会改革なども含めて、流通の意識は徐々に変わっているものと思われる。デジキューブによるコンビニ流通、任天堂とローソンによる、書き換えサービス、マルチメディアキオスク構想などゲーム流通は今大きな変革点にいる。これらによって、理想的な流通に生まれ変わることを切に願う。
そして、その発端の重要な位置を占めたSCEを高く評価したい。