97年後半以降はN64が躍進する。
任天堂は、ソフトの品ぞろえが少ない、他機種に比べてハードもソフトも高い(但し3月14日からN64は16800円へ値下げ。)というマイナス要因を十分に認識していながら、かなり気長に構えている。このため、「任天堂神話は崩壊する」といった論調が幅をきかせることになっている。
だが、私はそうは思わない。現段階は任天堂にとって準備期間であり、それこそ2000年の業界を見据えた計画を練っていた(いる)はずで、97年後半以降は、N64がゲーム市場の中心的存在になっていくとみている。
第一の理由は、「書き込めるメディア」を媒体とした『64DD』の年内発売だ。64DDの磁気ディスクは、64MBの容量を持ち、32MBは書き込みが可能になっている。ゲームをセーブするためだけなら、こんなに大容量の書き込み容量はいらない。おそらく、作ったデータを記録していく『創造を楽しむゲーム』が多く発売されるのではないだろうか?例えば、マリオペイント、クリエイター、シムシティー。もちろん、ソフト自体の販売価格の低価格化にも貢献するだろう。たぶんCD−ROMのソフトと同価格であろう。
スーパーファミコンの延命策として発表した「ゲームキオスク」(店頭でのゲームソフト書き込みサービス)も、いずれは64DDに拡張されるのだろう。そうなれば、われわれユーザーには、安い値段でソフトが楽しめ、同時にN64の武器はますます多くなる。
第二の理由は、少数精鋭主義である。1か月に60種類ものソフトが発売されるという状況が、ユーザーにとって、ほんとうに喜ぶべき状況かどうかは多いに疑問だ。もちろん、そのすべてが面白ければ、問題無い。しかし、実際にはクソゲーが6割、7割を占めている。しかも、ユーザーにはクソゲーかどうかを見分けるすべがない。買ってみないとわからないのだ。ゲーム雑誌では、当全よいしょ記事ばっかだし。
第一、そんなに多くのソフトを発売しても、いったい誰が買うのか?普通のユーザーは、年に4〜5本ぐらいじゃないのか?だったら、ソフトの量ではなくて、ソフトの質にこだわるべきではないか?
面白さを保証できるソフトだけを、月に数本、厳選して発売していく、という任天堂の考えは、今までとは全く異なるが、一つの真実を示しているといえる。この姿勢が今後も維持されると、N64は独自のビジネス・モデルの構築に成功していくに相違ない。そうなったとき、任天堂がソフトメーカーから信頼を勝ち取れることは間違いない。と、同時にユーザーからも大きな信頼を勝ち取れると思うのだ。
第三の理由は、ゲーム機の設計思想にある。他の新世代ゲーム機が拡張性を犠牲にしているため、後1〜2年の間には「商品寿命」が尽きることが予想される。だけど、N64は「進化を続ける」ことを前提に設計された、初めてのゲーム機であり、今後5年〜7年は大丈夫だろう。
ゲーム機は一般にメモリー(主記憶装置)をケチることで、低価格化を実現している。例えばサターンは3MB、プレイステーションは2MBだ。CD-ROMでソフトの容量自体が増大しても、メモリーが少ないと、表現力には一定の限界ができ、自由には作れない。水道(CD-ROM)から水(データ)を出して、演算、表示する際の水の圧力が低いのだ。ひねってもひねっても、ちょろちょろしか水は出ない。だから、なかなか思うような演出、仕掛けができないのだ。
N64の場合、本体に8MBも積んでいるうえ、本体上面にメモリー拡張用スロットを用意している。64DDが発売されるときに、同時に拡張用のメモリーを同梱して、ここに入れてN64を更に進化させるわけだ。
また、コントローラーを接続するコントローラーポートは、パソコンなどで使われている「シリアル・ポート」と同じで、双方向でデータのやりとりが可能になる。ゲームの画面と連動して、振動や衝撃を伝える体感コントローラー(振動パック、予価1400円)の発売が予定されている。プリンタ、デジタルカメラ、ビデオカメラ、DVDなど、多様な周辺機器が簡単に接続できるのだ。
さらに、ゲームソフトをカートリッジで供給するため、カートリッジに独自の半導体チップを組み込み、本来そのハードでは実現不可能だったことも可能になるという拡張性もある。
例えば、サードパーティのセタが、通信モデム機能を内蔵した将棋ゲーム『森田将棋64』を発売する予定だ。これは、CD-ROMが媒体だと不可能な構想である。N64のソフトは、それ自体が「ハード」という側面も強い。N64は今後ますます進化していく半導体技術を吸収して、進化していけるゲーム機なのである。
第四の理由は、SS,PSのユーザーは自分でゲーム機を買うことの出来るユーザーが多く、そんな人たちがN64を買うのはこれからだからだ。「最初にPS買ったから、今年はSS買った」という人は結構多い。こういう人たちは、今年の後半頃に今のゲームに飽きてきて、「じゃあ今度はN64でもやってみるか」となる可能性は高い。それに、多くのユーザーはソフトが少ないために、「まだ早い」と買い控えていたが、そんな人が買いはじめるのは任天堂が攻勢を仕掛ける97年後半以降だろう。
第五の理由は実力のあるクリエイターの多くはN64での開発を志願しており、そんな人たちの開発したソフトが発売されるのは97年後半以降だからだ。
PSを支えたナムコでさえN64で開発を志願するクリエイターがあとを絶たないそうだ。皮肉なものだ。PSの良い所をアピールして、PS普及にもっ
とも貢献したソフトメーカーといわれる「ナムコ」のなかの、中心人物がN6
4に惚れぬくとは。ナムコは元々、開発者に対して、比較的自由にソフトを作
らせていたそうだ。だから、みんながN64でやりたいといったら、N64で
やらせないとおかしいわけだ。しかし、ナムコは「PSを支えるメーカー」で
あるため、そういうわけにもいかない。命令されて、仕方なくPSでソフトを
作る開発部隊は実に多く、7割ともいわれている。今年も多くのソフトが販売されるだろうが、そんな状況で、果たして良いものが作れるのかどうかは、大いに疑問である。
また、これはナムコに限ったことではない。カプコン、コナミ、その他多くのソフトメーカーで、こういった現象がおきているのだそうだ。
そんななかから、97年後半以降には質的転換が図られた「新しいソフト」が
生まれてくる可能性は高い。そして、そんなソフトが「新しいブランド」へな
っていき、N64を引っ張っていくのではないだろうか。RPGの分野でも、『F
F』や『DQ』を超える、「新しいブランド」がN64で生まれる可能性は高いと
思うのだ。
また、『ゼルダの伝説64』『MOTHER3』『ヨッシーアイランド64』『カービー・エアライド』など、97年後半以降は任天堂からもN64のキラー・ソフトが続々と登場してくる。