任天堂悪者論に異議あり


 SCEのロイヤルティは確かに安い。だけど、製造委託を強いていることなど、そのビジネスの仕組みは任天堂とそれほど変わらない。SCEは問屋もかねて直販を原則としている。そのため、希望小売価格の約20%を流通マージンとして徴収している(それを嫌って、コナミやスクウェアは自主流通に走ったわけだ)。 マージンをとっているのだから、きちんとキメ細かな営業をする必要がある。それにPSでは小さいメーカーが多く、自分達で営業まで手が回せないだろう。だからこそ、SCEがきちんと営業を行う必要がある。今年PSでは、700〜800ものソフトがリリースされる予定だ。よりそういったことが重要になってくる。しかし、営業の人を増やしていないらしい。ということは「初心会」がついている任天堂よりも、営業は小売店の状況を把握していないのは想像に難くない。それなのに、いつまでもSCEは「善者」で、任天堂は「悪者」、という思いこみが根強いことに腹立たしくてならない。もちろん、任天堂にもいい事と悪いことがあった。しかし、それはSCEも同じである。なのに、任天堂の悪い部分だけを取り上げ、SCEの良い部分だけを取り上げるのは不平等ではなかろうか。なぜそう言われるのかを考えてみると、それは立場の違いを考えていないからではないかと思う。
 任天堂は今日のゲーム業界を築いた会社である。だから、任天堂は「市場をつぶしてはならない」ということが、任天堂にとって、最重要課題である。その重い責任を、任天堂は一社で背負わなくてはいけないのだ。だからこそ、任天堂は現在の粗製濫造、クソゲーが多いゲーム市場を何とかしようと「質的転換」をアピールし、実力のないメーカーの参入を規制している。ここまで大きく育った市場を何とか守りたいという任天堂なりの考え方があるのだ。
 それに対して、SCEは任天堂が作った市場の悪い部分を修正し、ユーザー層をより拡大させることが使命である。だからこそSCEは、メディアにCD-ROMを選んだ。原価が安い、生産期間が短いためだ。そして、新規参入者が参入し易いような環境を作っている。しかしながら、それによって当然ソフトはクソゲーと呼ばれる物がたいへん多い。だからといって、SCEは業界のことを考えてはいないということではない。
 クソゲーによるユーザーのゲーム離れを防ごうとしている任天堂、才能のある新人の発掘を考えているSCE、両者の方針、政策は正反対である。しかし、どちらが正しく、どちらが間違っている、というこでは決してない。粗製濫造はエンターテイメンとにとっては必要な要素である事は真実であるが、クソゲーを買ったユーザーは不満を覚え、ゲームから離れていくことも真実である。(クソゲーを一個買ったら、すぐ離れるというわけではないが、これは大問題である。)
 だからこそ、簡単に任天堂は「悪」、SCEは「善」などと言ってはいけない。それだけはご理解いただきたい。