広く一般層を対象としたゲームが必要である
「任天堂の苦悩」で挙げた問題は、裏を返せば、任天堂がそれだけ信頼されていることでもあり、任天堂ならではの問題といえる。3D*とかではありえないですね?
PS,SSではどちらかというと、ユーザーの嗜好に合わせて、ソフトを開発している。それゆえ、少数多品種の市場が形成されているのだ。PS、SSでも一般的なソフトはもちろんある。でも全体的にそういう傾向があるのは事実であると思う。
PSでは「パラッパラッパー」、「DEPTH」、「アクアノートの休日」などの今までにないタイプのゲームもでていて、こういったことは重要なことではあるが、一般的なゲームとは言い難い。今までにゲームをしていなかった人には、楽しいようだが、ゲームをしてきた人にとっては、つまらないという評価が多い。でも、これをきっかけに、今までゲームをしてなかった人がゲームをしてくれるのなら、それは大変意味があり、重要なことであろう。だから、こういったソフトはこれからも、どんどん出てきて欲しい。がんばれ!
それに対して、任天堂は市場を年齢、嗜好別に区切ることを嫌っている。「本当に面白いゲームなら、誰がやっても面白い」がその理由。よく任天堂のゲームは「子供向け」「家族向け」といわれるが、任天堂にはそんな考えはないし、それは意味がないことなのだ。だからこそ、任天堂が開発するゲームは、どれも超一級のできなのだ。確かに、「マリオ」「ヨッシー」「カービー」「ドンキーコング」などキャラクターこそ子供向きかもしれないが、私のような年齢(21歳)がやっても色あせることはなく、充分面白い。だからこそ、任天堂のソフトは、広く普及しており、世界でナンバーTのソフト会社でいられるのだ。
もちろん、ユーザーのニーズに合わせて、いろいろなソフトが発売されるのは、決して悪いことではない。しかし、ソフトの多様化だけが進むのであれば、それはゲーム業界にとっては危険である。ゲーム市場が、マニアックな市場になってしまうからだ。これは、決して望ましい姿ではあるまい。マニアな市場がいつまでも栄えることはないはずなのだから。
だからこそ、ゲーム業界では、広く一般層を対象としたゲームが必要とされているのだ。どんな人でも楽しめるゲーム、N64というマシン、任天堂のソフトの開発姿勢にはそれを実現させてくれる可能性を感じるのだ。
任天堂が言う「質的転換」には、そんな意味も含まれているはずだ。N64はまだ一つのステップをクリアする段階にすぎない。だからこそ、今後のN64には大きな期待をしてしまうのだ。がんばれN64!