MIRSを終えて


 3年の前期末試験が終わり、ちょっと気の抜けていた後期の始め、MIRSのアイデア提案書の 提出日に迫られた。あまりじっくり考える時間もなく、前日の夜にやっと完成したアイデアだったが、 なぜか5人の中に選ばれ、いつのまにか2班のマネージャーとなってしまっていた。
班が決まり仕事は始まったが、8人という人数を1年半まとめていく自信はあまりなかった。 まず、僕のアイデアを元に自機の動きを検討することから始まった。しかし実際話合おうとしても、 僕自身まだいいだろうという甘い考えをもっており、またみんなも同様で一向に話は進展しなかった。 やっと本格的に考え始めたのは、開発計画書の提出日が押し迫り、もう他班はまとまりかけた頃だった。 この頃から僕らの班こんな感じだった。何をとってみても終わるのは5班の中で一番最後だった。 今思えば期限というものがなければとても出来上がらなかっただろう。しかしそれに迫られたときの 班の団結だけは、唯一自慢できるものだったかもしれない。
 そんな調子で3年のMIRSは進んだ。実際にものをつくれず、紙の上だけで考える難しさを知った が、それと同時にその大切さ、重要さも学んだ。始めにいかにしっかりとした設計をするかで完成度が 決まってしまう。一度経験してみないと分からないことだと思う。それがまだ分かっていないうちに つくったシステム基本設計書、内容はかなり薄いものとなってしまった。

 4年に進級し、まず機体を組み立てるうえで最も必要となるシステム詳細設計書を作成した。 夏休みのMIRSの一週間は基板づくりに費やされた。基板は全班共通にするという方針に決まり、 僕は内心ほっとしていた。情けないことだが、班ごとで基板を作れる自信は全くなかった。
一人一枚の基板を担当し、夏休みあけにはどうにか全てが形になった。でもそれで思い通りに動くと 思ったらそれは大間違いだ。今年全班特に苦労したのが超音波センサだった。中間発表会にはどの班も 間に合わず、僕らのセンサが正常に動くようになったのは、本番目前、2月も10日を過ぎてのことだった。 本当はソフトウェア担当だった僕は、この超音波センサを動かすことに時間を奪われ、結局最後まで ソフトに手をつけることなく終わってしまった。その分、正常に動作したときの感激はひとしおだった。 原因は回路図不明瞭のためで、その回路図どおり作ってしまったことが逆に災いしていた。何度もコピー していたせいで修正部分が消えてしまっていたようだ。来年からはコピーではない回路図を使うことを 薦める。
 メカの面では、詳細設計をあまり煮詰めずに制作にはいった僕らの機体がスムーズに完成までこぎつける わけがなかった。中間発表のときの機体を本番に向けてすべて作り直したのは僕らの班くらいだろう。 結局メカ部分を最後までいじっていたのは僕たちの班だったのだが、なんだかんだいいながら後はソフト だけ、の状態へもっていくことができた。しかしそれは本番3日前、満足のいく動きをさせるためには あまりにも遅すぎる時期だった。

 僕は本番の日は学校を休んでしまい、残念なことに1年半の成果を実際に見ることはできなかった。 結果を後から聞いたが、相応の結果だったと思う。反省点は数え切れないほどある。計画の不十分さは あたりまえのこと、僕のマネージャーとしての責任をはじめ、おのおのが自分の役割をはたせなかったことが 悔やまれる。しかしそれを繰り返さず次に活かせたならば、この1年半で得たものは大きいだろう。
考えようだが、やって無駄になることはまずない。それはやってみないと分からない。経験する、ということ がいかに大事か身にしみて分かった。下級生にはぜひ悔いの残らないようにやってもらいたい。