感想

4番 市川 明彦
 MIRSを1年半やってきましたが、ここまで大変な 物だとは思いませんでした。ソフトウェアを、調査の段階で もっと調べておけばと後悔しました。メカやエレキの担当の人達が、 しっかりとした本体を作てくれたので、ソフトもしっかりした物を作らなければと、 プレッシャーも感じました。結果は残念な事になりましたが、自分ではいろいろ勉強できたと思います。 ハードウェアに対応したプログラムを作ったのは初めてだったので、最初は戸惑いました。 しかし、最後の方では、MIRSが思いどうりに動いてくれたので、面白かったと思います。 14番 近藤 光央  僕は、チーム・マネージャーでエレクトロニクス担当でした。三年の最初のころは、 チームをまとめるのと、全員に平等になるように仕事を振り分けたりすることでとても大変でした。 しかし、チームのメンバー全員がとても協力的で、進んで仕事をやってくれる人達ばかりだったので、 僕も仕事がやりやすかったです。四年になってからは、メカ、エレキ、ソフトと担当ごとに別れて仕事を 進めていきました。 四年になってからは、あまりミーティングができず、メカ、ソフトの進行状況が把握できない時もありました。 自分がマネージャーであることの自覚が足りなかったと思います。もっとミーティングは、 やっておいた方がよかったと思いました。本当に「チーム」と言えるようになったのは、 中間発表会くらいからだと思います。もうその頃からは、みんなが協力しあって、仕事がとても うまく進んだと思います。四年の最初の頃は「こんなんで本当にMIRSが完成するのかなあ」 と、思っていたので、なんとかなってしまうものなのだな、と思いました。 本来の目的である競技会の方は散々な結果に終わってしまい、とても悔しかったです。 もう少しMIRSを速く動かせていれば、もう少し勝てたかもしれません。 僕等の班のMIRSの動きはねらいは良かったと思います。もう少し時間があったら・・・ と悔やんでも悔やみきれません。また、競技会は結局ソフト次第なのかな、という感じがしました。 僕等の班のエレキは、結構頑張って仕事をやっていたので、僕は歯がゆい気持ちでいっぱいでした。 だからといってこの結果をソフトの出来のせいにするつもりはないですが。 市川と素明はよくやってくれたと思います。  僕の仕事である、エレクトロニクスはとても大変な仕事でした。今年は、ボードの設計を 班で分担してやりましたが、回路をしっかり理解できていない担当者もいたし、 デバッグをするのは結局自分らなので、すべて自分の班でやっておけばもう少しデバッグが楽になっていたかもしれません。 四年の後期からは本当に導通チェック・TMPの繰り返しでした。最初は自分の担当した回路以外は 何も分からなかったのでとても大変でしたが、だんだんと慣れていきました。原因が分からない時は、 苛々してストレスが溜まりました。でも、ボードが直ったときはとてもうれしかったです。 また、ロジアナやオシロスコープなどの使い方も覚えたので色々と勉強になって良かったと思います。  このMIRS製作を通じていろいろな経験ができたので、良かったと思いました。 鈴木清彦 2月14日の競技会が終った時は、何とも表現し難い気分だった。一年半かかってやってきた事が、 わずか2時間足らずの競技会で成果が問われる。必ずしもどれだけ頑張ったかが勝負の結果に比例しない。 厳しいな、と思った。結果は一勝三敗「もっとできるのに、もう一回チャンスをくれ」と思った。 練習の時はもっとスムーズに動いたのに。ロボコンチームの気持ちがほんの少しだけど感じ取れたような気がする。  3年次は、システムの設計をした。皆で、システムの動きを議論しあったことは楽しかった。 また、前年のドキュメントや、卒論を参考に設計書を作り上げた。参考にする文書がありそれを 真似して書いていた。その時思ったのは、こんなに真似ばっかりでいいのだろうか?ということだった。 もっと一から自分達で作り上げなければならないのでは?と感じていた。本当は、その様にやらなければ ならなかったのだろうけれど、始めてやる事ばかりだったから、先輩達の真似から入るのも一つのやり方か、 と思ってやっていた。また、僕はMIRSをやるまでパソコンの使い方を何も知らなかった。 MIRSのおかげで一通りは、パソコンを使えるようになったので、助かった。  4年になって、システム詳細設計が終り、製作に入ってからは毎回楽しかった。 僕は、昔からプラモデルなんて作った事はなく、ニッパー、ラジオペンチなどの工具を触った事なんて無かったから、 最初はとまどった。けれど作業を進めていくうちに工具を使うのにも慣れてきた。 秋からは、仕事のほとんどが導通チェックになった。導通チェックをしてバグを発見した時は何とも言えない 嬉しさが込み上げてきたものだった。僕もマニアックになったな、と感じた。  一年半通して本当に良い経験になった。パソコンは使えるようになったし、工具にも触れる機会があった。 また、物を作る楽しさやチームで作業する楽しさ、自分の仕事を全うする責任感などなど、勉強になった。 今、思うともっとチームのメンバーとコミニュケーションをとるべきだったと思う。 エレキの中ではコミニュケーションをとっていたけれどソフトやメカともとっておくべきだったと感じている。  一つの物を皆で作りあげるということは、僕にとってはたいへん楽しいものだった。 鈴木素明 ソフトとはどのようなものかということに興味を持って担当をソフトウェアに選んだのですが、 実際はとても難しく、自分の手におえるものではありませんでした。市川君が同じ班のソフトを 担当していたので、彼に聞きつつ、自分のできる所を探しました。そうして行動計画部を中心として プログラムを作ることに決定し、後はその内容を考える事に時間を費やしました。 僕はただ動きだけについてのことを考えていたのですが、市川君はそこで座標による制御を考えたらしく、 その結果、大変正確な動きをすることが可能になりました。同じ学年ですが、彼のプログラムについて の精通した知識には驚くばかりでした。僕もそこまでにはなりたかったのですが、努力不足と怠け ごころでついに届きませんでした。  とりあえず僕のプログラムも少しのって競技会が開催されました。練習ではなかなかうまくいっていると 思ったのですが、実際にはあまり本来の動きをする事ができませんでした。 終ってみればびりと言う事でとても残念です。しかし、どの班のミルスもできがよく、見ていてとても楽しかったです。  やっていて分かった事は、実際にミルスが動くとやる気が出てくると言う事です。 とりあえず頭で考えても分からないことは、試してみた方が効率的で理解もできると言う事を 後輩に教えてやりたいと思います。 28番 坪井保憲 3年生の時から4年生の今まで1年半ぐらいの間、MIRSを製作してきましたが、 確実に言える事は何を作るにしても、一人の力ではできないと言う事です。MIRSに関してもメカ、 エレキ、ソフトと三つのパートに別れてそれぞれ煮詰めていき、要署要所で互いに協力しあって ようやく一つのMIRSが動くようになりどれか一つでも欠けていたらMIRSは動かなかったと思います。 僕のMIRSの製作パートはメカでしたが、人の要望にきっちり応える事が意外と難しく試行錯誤して 色々なパーツを作っていました。パーツを作るにしても、ただ必要なものを作るのではなく遊び心を忘れず、 リアウイングを付けたりチームのステッカーを付けたりして外観にも気を使いMIRSを作りました。 今思い返せば学校に遅くまで残って、どこが悪いのか見当も付かないバグを探したりして辛かった 事ばかりを思い出しますが、でも最後に完成して動いているのを見ると今まで辛かった事など全て ちゃらになってしまうほど充実した気持ちになりました。 29番 坪井 保憲  2月14日、とうとうMIRSが終ってしまった。結果があまり良くなかったせいか、 なんだか終った感じがしない。終った今でも、あの時もっとやっておけばよかったという後悔でいっぱいである。  3年後期から始まったMIRSの授業。あの時はまだこんなに大変な授業になるとは思っていなかった。 ただロボットを作るだけの楽しい授業だとばかり思っていた。基本設計書の作成に入り、少し物足りない 感じがしていたが昨年度の先輩たちのMIRS競技会を見て感激し、自分たちもこのようなMIRSを 作るのかと思いとてもやる気になった。  4年の始め、詳細設計書の作成から始まって、夏休みに入りとうとう本格的にMIRS本体の作成に入った。 僕はメカ担当でMIRS本体そのものを作る係りだったので、作ったものが目に見え、物ができていくたび に充実感を覚えた。でもけしって楽ではなかった。詳細設計書である程度はMIRSの設計をしていたが、 いざ作ってみると思った様にはいかず何度も検討し、変更しなければならないことがいくつかあった。 MIRS中間発表までには外観の作成は終わり超音波センサ以外の機能は正常に動くようになった。 自分たちの作った物が動いているのを見て「やったぞ!」という気持ちになった。MIRS中間発表 ではなかなか良い成績で終ることができたので本競技でも良い成績が残せるんではないかという期待がでてきた。  実際、走らせてみていろいろと改良しなくてはいけない点が幾つか出てきて本競技まで休まることはできなかった。  とうとうやってきた本競技では、前日までかなりいい調子で動いていたのでかなりの期待を持って試合に望んだ。 でも結局いい結果は残すことができなかった。  いろいろと振り返ってみるといい体験になったと思う。チームのメンバーと意見がすれ違い、 意見のぶつかり合いで嫌な思いをしたり、辛い思いをしたこともあった。 本競技がテストに近くてやらなくてはいけないことが沢山あって大変な思いもいした。 今となってはどれもが僕にとって良い体験になったと思う。これから、自分がどんな方向に 進むのか分からないがこの体験を活かせたら良いなあと思った。 D4 No.32 広岡健吾   僕は、エレキを担当した。始めはメカをやろうと思っていたけど、ボードに少しでも多く触れて、ボードのことを知りたいと思い、悩 んだ末にエレキにした。だけど少し後悔した。やっぱり僕には、実際に手を動かして、物を作るという方があってたような気がする。 いまいちしっくりこなかったように思われる。それに比べてメカは、実際に目の前で物を作っていくので、こっちの方が自分にはしっく りときたのかもしれない。だけどエレキも実にやりがいのあるものだった。特に夏休みの時なんかは、自分達のやるべき仕事を皆に協力し てもらっていたので、自分自身、"やらなくては!!"という気持ちになれたような気がする。だけど、本来なら夏休み中に終わっているは ずだったボードの導通チェックが、11月までかかってしまったことがよくなかった。そのせいで、すべてのことが遅れたように思う。また 終わりの方、自分で仕事を見つけて動く事が少なくなり、チームの皆に迷惑をかけたようにも感じる。 最終的に競技会では、良い成績を残せなかったけどとても良い経験になったと思う。MIRSでやったことが、これから就職してどういう風に役 に立つかまだわからないけど、必ずやって良かったと思うと思う。