MIRS1503 管理台帳へ戻る
名称 MIRS1503 開発完了報告書
番号 MIRS1503-REPT-0006
版数 最終更新日 作成 承認 改訂記事
A01 2016.02.25 天野南月、飯塚直紀、遠藤幸一郎、遠藤真哉、大場春佳、菊澤雅哉、菊地祐太、田中宏明、山田怜央 初版
A02 2016.02.25 天野南月、飯塚直紀、遠藤幸一郎、遠藤真哉、大場春佳、菊澤雅哉、菊地祐太、田中宏明、山田怜央 小谷先生 第2版
変更の詳細は、MIRS1503 開発完了報告書書レビュー議事録に示す。

ドキュメント内目次

1.目的
2.競技結果
3.開発スケジュール分析
4.開発工数分析
5.総括
6.感想

1.目的

MIRS競技会の結果を示すとともに、競技会までの工数分析をし、一年間の活動を振り返るためのものである。

2.競技結果

競技会結果は2位であり、詳しい結果をTable1に示す。
Table1:競技会結果
  現場急行タイム 数字認識 怪盗確保タイム
前半戦 41.7[s] × 119.3[s]
後半戦 8.4[s] × -
前半戦は、現場急行完了するまでに、何度もリトライしたため、41.7[s]かかった。また、競技場巡回中に怪盗が誤って追突したため、怪盗確保となった。
後半戦は一度で現場急行を完了したが、怪盗確保に至らなかった。
前後半ともに、数字認識は行わなかった。
具体的な競技会の内容およびルールは、MIRS2015 MIRS競技会 競技規定を参照する。

3.開発スケジュール分析

以下に、開発計画と実際の開発スケジュールをTable2,Table3に示す。

Table2:開発計画

Table3:実際の開発スケジュール

メカの作業は予定通りに行うことができた。そのため、ソフトやエレキの手伝いを行うことができた。
エレキは信号処理ボードの製作が予定より2週間ほど遅延した。理由はMCBの不具合の解決に時間を注いだためだと思われる。
ソフトはハードウェアの調整が長引いたことにより、ソフト開発のスケジュールが遅延し、1ヶ月の作業期間があったゲイン調整が約1週間になってしまった。さらにバッテリーの個体差によりゲイン調整のパラメータが変わってしまうことなどから大会直前まで作業を行うこととなってしまった。

4.開発工数分析

以下に競技会当日までの班員全体の作業時間[h]と、各班員の作業時間[h]を集計したものを前期まで・エレキ・メカ・ソフト・その他に分類したものを示す。
*その他(ドキュメント関係)に前期の作業量が含まれているため、前期までの作業工数はあいまいである。

Table4:作業時間とその配分
  天野南月飯塚直紀遠藤幸一郎遠藤真哉大場春佳菊澤雅哉菊地祐太田中宏明山田怜央班員全員
前期デモ競技会まで[h] 108.755943.595.6895.868.6385356571.05
メカ[h] 25000014.50247.370.8
エレキ[h] 7.559.569.5000020138.5
ソフト[h] 0002630.10482949206.6
その他(ドキュメント関係)[h] 75.0548.587.535.530.2379939.558627.75
その他(システム提案・競技会関係)[h] 143714435.5127.558.5317658640.5
合計[h] 359.3238235.5233283.6221.5216223.5230.32230.7


Fig1:全班員の作業割合

Fig2:班員の作業割合


集計に使用したエクセルファイルを以下に示す。
Development_completion_report_man-hour_analysis_20160225.xlsx
上の円グラフより、前期よりも後期のほうが作業工数が多いことがわかる。また、エレキ・メカ・ソフトの作業時間は全体の1/4ほどであり、半分以上をドキュメントやミーティング、競技会関係が占めていることがわかる。これにより、実際のエレキ・メカ・ソフト以外の作業の負担が大きい、また作業効率が悪いことが考えられる。
一番作業の多い人(天野南月)と少ない人の差(菊地祐太)は、140[h]であることがわかった。差が出た理由として、前期の作業時間と、システム提案のドキュメントの作業時間に大きな差があったと考えられる。しかし、実際エレキ・メカ・ソフトの役割における作業時間は、菊地祐太のほうが天野南月に比べて多いことより、天野南月はエレキ・メカ・ソフトなどの役割以外の作業の負荷が大きかったことがわかった。
メカ作業については、エレキ・ソフトに比べて作業量が少なく、メカの役割以外の人は行っていないことがわかる。このことより、メカの役割はメカ担当者のみで完結できていたことがわかった。
エレキ作業については、エレキ担当者が多く作業を行っていることがわかる。
ソフト作業については、ソフト担当者だけでなく、班員全員で作業を行っていることがわかる。

5.総括

前期に行われたプレ競技会では、4位であった。機体の組み立て、それに伴って起きた原因の究明に時間がかかり、余裕をもってゲイン調整を行うことができず、直進するのもままならない状態であったためである。
後期のコンセプトを決める際に、新しいモータを載せることでゲイン調整に大きく時間をとられてしまうと考え、1ヶ月間のゲイン調整期間を作ることを決めていた。しかし、新モータを搭載する時に必要なMCBの改良部分が当初予定していたものだけでは対応できなかった。それに伴い、エレキ全員での作業が必要になり、当初予定していたMCBの改良後、信号処理ボードを載せる前に、組み立てしてゲイン調整を行うという状態まで進めた時には、競技会までの期間が1週間ほどしかない状態になってしまった。それにより、ゲイン調整を十分に行うことができなかった。また、MCBに直接バッテリーを挿していたが、これにより大きくゲインに影響してしまうことを気づくことが、競技会当日と遅かったため、ハードやソフトでの対応をすることができずに満足したMIRS動作を見せることができなかった。
チーム内で「チームコンセプトは絶対」という話もあったため、時間が押しているなかでの新モータ搭載であった。もっと臨機応変に対応できるような、MIRSの製作や話し合いの場作りを行うべきだったと感じる。

6.感想

天野南月
 チームリーダとして1年間活動して振り返ると、苦労したなという言葉が最初に出ます。 振り返るとまずは、幸一郎の左遷、標準部品製作計画書のレビューで青木先生に怒られ、一人で作業することが多かった前期でした。
 プレ競技会では最下位という結果でしたが、これは後期のMIRSAK競技会で同じような結果を出さないようするためのスケジュールを建てることに非常に役立ち待ちました。ほぼすべての計画を青木先生が示したスケジュールより前倒しにし後期が始まりました。
 前期はソフト、後期はメカを担当し、直接、指揮したことで前倒しにしたスケジュール通りにメカの仕事を完了できたのはいい滑りだしだったと思います。
 しかし、気持ちの面は前期の時と比べて後期はMIRSへのやる気が小さく、その後の作業に関しては成果を出すのに時間がかかったり、出せなかったりしてモチベーションを維持することに非常に苦労しました。宏明にチームをまとめてもらうことが多くリーダとしての力のなさを感じました。
 MIRSの機体開発では設計や試験でドキュメントにすでに記載されていることを聞いてきたりすることが前期は多く、そのたびにドキュメントの場所を教えたり、あらかじめ始める前に教えておいたりし対策をしました。総じて思ったのが電子制御工学科1年から習ってきた専門教科の内容とMIRSのドキュメントの内容がつながらない人が多いことです。
 最後、MIRSAK競技会先日に風邪でやすんだりし、申し訳なく思っていますが宏明がうまくまとめていたと報告を受けてうれしかったです。

飯塚直紀
 この一年間のMIRSの開発を通して、他の科目では得られない様々なことを学ぶことができたと思う。
 前期の標準機の開発で、エレキを担当して、標準機能試験、部品試験などにおいては、試験をしているときに、さまざまな場所から不具合が見つかり、積み重なり、試験がかなり難航してしまった。
 このことから、一つ一つの地味な作業、ケーブルの導通チェックや配線チェック、部品の向き、ハンダ付けがしっかりできているかの確認までにおいても、目視、テスターなど持てるものすべてをもって真剣に確認作業をして初めて「作業完了」といえるのだと思った。
 後期のMIRS1503班のMIRS開発においても、エレキを担当し、信号処理ボードの設計製作、MCBの補強作業の指揮に携わった。
 結果、作業は完了したものの、後期の始めに決めた日程よりもかなり遅れてしまった。この原因は、始めはダイオードをより耐電流の高いものに取り替えるだけで済むはずであったMCBの補強作業が、より高出力モーターと取り替えたことによる電流の倍程度への増加に耐えきれず、配線が燃えてしまったからである。一度は、焼けた線路に鈴メッキ線を新たにつけるだけであったが、これでは耐えきれなかった。これにより、基盤そのものがかなり状況把握しづらい状態になってしまい、後に起きた動作不良の原因も分からない状態になってしまっていたため、最終的には、MCBを始めから作り直し、始めから線路にはんだを盛ることで解決することになったが、この原因となった、もとの配線のグランドの線路が細かったことについて、前期でエレキを担当し、標準部品製作に携わることになった時点で回路図を見て、理解して、配線図と見比べて、おかしいところがないか、発見していくような姿勢が必要だったのだなと気づいた。
 信号処理ボードの方は、設計した時に想定していた動きを忠実に再現できるものが作成できたので、満足だが、やはり急務であったMCBの補強作業に時間をとられ、完成日が遅延してしまった。
 一年間を通して学んだことで一番大きなことは、前期、後期ともにあった、「些細な綻び」による破綻、これは、実際の企業での製品開発に携わるような場合には、安全面に直結し、場合によっては社運に関わるものになってしまうので、製品を作る上では、立派な理論より地盤、安全面に関わる根本の部分をしっかり意識して開発、製作できるようにしたい。

遠藤幸一郎
この一年間エレキとして仕事をやってきました。 一年間を通して、不具合が起きたときの原因追求と再発防止策を考えるのがとても大変でした。
後期はMCBの改良と補強、FPGA回路の変更、ケーブルの製作、エレキのドキュメント製作に携わりました。
自分自身の力不足と、スケジュールの遅れから班員に教えてもらいながらの作業になることが多かったですがある程度理解できるようになったのでよかったです。
エレキが担当した箇所は些細なミスで、作業に大きな遅延が生じる可能性が高かったので緊張感を持って作業に取り組むことができました。
競技会一週間前にMCBを新規に製作しましたが、ミス無くスピーディーに作業を終えることができたのでこの一年間で力がついたのかなと思いました。

遠藤真哉
ソフト班をやってきましたが、主な仕事は競技会前の1週間に集中していたように思います。3班のスケジュールが大きく遅れていたこともあり、プログラムの確認や調整を行えなかったのが原因だと思います。プログラムの出来に関してはあまり良いものではなく、内容もフィードバックをまったく行っていないのでレベルの低いプログラムになってしまいました。競技会を終えて反省するところを挙げると、ソフト面以外の知識があまりなくエレキの作業を手伝えなかったことです。
開発全体でエレキの作業が最も大変だったと思いますが、それを手伝えていればスケジュールの遅れを防げたのではないかと思いました。1年間のMIRSを通してスケジュールをたてるだけでなく、現状とのずれを常に確認していくことがとても大事だということを学びました。今後の学校生活に生かしていきたいと思います。

大場春佳
私はドキュメントマネージャ、ソフトとして一年間活動しました。
ドキュメントマネージャとしては、きちんと役割を全うすることができたのではないかと思います。しかし実は途中で、あるHTMLファイルを消去するというミスを犯しました。消去すると復活させることができないため、作り直すのは大変でした。ドキュメントマネージャとして、責任をもってバックアップを取ったほうがいいと気づいてからは、気づいたときに自分のディレクトリに保存するようになりました。結果としてドキュメントを削除してしまうという問題は起こらなかったため、バックアップの出番はありませんでしたが、それはそれでよかったと思います。採番したり、HTMLを教えたりする以外にも新たな仕事を見つけられてよかったです。これからも、何をするにもデータのバックアップを大切にしていきたいと思います。
ソフトとして、私以外は前期ほぼソフトに触れずの人が多かったので初めは心配でした。できればソフトは変更せず、ハードウェアで行ってほしいということを、開発計画の段階から押していました。そのため、ソフトでの大きな変更はありませんでした。あとは機体にソフトを入れるだけというところまでは予定の変更もほぼなくできたので、よかったです。しかし、パラメータ調整に思ったよりも時間がかかってしまいました。バッテリーが大きな影響を及ぼすということがわかったのは、競技会当日であり、それまで何度やってもパラメータが決まらず悪戦苦闘していました。これは、もっともっとソフトの知識があり、またソフト以外のことにも目を配れたら気付けたことなのではないのかなと思います。その影響でエレキの人ががんばってく作ってくれた基板を搭載し、動作させることができなくてとても残念であり、申し訳ないです。
チームの一員として、この班はとても面白い班でした。ゲームが好きで、休むのが大好きで、なかなかエネルギーを入れることができないため、予定が前倒しになってしまう。そんな班で、リーダも先生も大変困ったと思います。でも、そんな団結力を持ったチームだからこそ、窮地のときには大きな力を生み出してMIRSを動かすことができたのではないかと思っています。早めからMIRSにも団結して作業することができれば一番よかったと思いますが、なんとかロボットを動かすことができたのでこのチームも悪くないものだなぁと思います。みんながみんなの持ち場をきちんと実はわかっていて、やりたいときにやる。そんな、とてもフレキシブルなチームで、面白い体験をさせてもらいました。しかし、もっと臨機応変にコンセプトを変更するなどの対応できればよかったと思います。
とても楽しかったです。一年間ありがとうございました。

菊澤雅哉
メカで一年間活動し、機体の外形の構築やMIRSの部品の設計を行っていました。
3DCADを使って設計できるのが自分のみだったため一人で設計図や外形図の作成をせねばならず苦労しました。また、それによって班員を待たせることが多くとても心苦しかったです。しかし、開発スケジュールに間に合うようにメカの仕事が終わってたので嬉しかったです。
メカとして、設計の部分では大きく貢献できたが、組み立てや機体整備の部分では他のメカ班員がやっていて自分は手をつけることが少なかったので、もう少し機体に触れておけばよかったと少し後悔しています。

菊地祐太
私は一年間ソフト班として活動してきました。
ソフトウェアの開発は、今までの授業ではプログラムは作っても実際に実機に入れて動かしデバックするという機会が少なく、慣れない作業でした。しかしこの経験はとても価値があるものだと思います。この先この経験を生かしていきたいです。
また、開発したソフトウェアの完成度が芳しくなく、自分たちがやりたかったことがまったくできなかったことがとても悔しいです。
最後に、この授業を振り返るとすごく大変でしたが、楽しかったです。

田中宏明
自分は運営側としてはプロジェクトマネージャー、チームではメカとして1年間活動してきた。 メカの仕事としては、前後期と合わせて8本の支柱の製作を手がけた。 支柱の製作時間だけで見れば、3日程しか作業していないが、実際に製作するための前段階として、機体のコンセプトを決め設計図におこし、チェックしてもらうという作業が大変だった。 今回自分たちは、MIRS史上最高のモーターを使うというコンセプトだった。しかしMCBに不具合がでるなどの理由から一時断念しそうなときもあり、本番で動かない可能性もあった。だが諦めずに解決策を模索することにより、最終的には怪盗機を確保できるようにまでなった。このことで粘り強さなどが身についたと思う。 後期のメカは、MIRS1503の組み立てまで終われば、仕事はほとんどなかったので、その時間を利用してMIRSの装飾をすればよかったと思う。 大会前はプロジェクトマネージャーとして、大会の競技場作成、リハーサル、本番の指揮をした。プロジェクトリーダーの3人はもちろんD4のみんなが素早く行動してくれたおかげで円滑に進行できた。 チームでひとつの目標に向かって突き進むという貴重な経験を積めてよかった。この経験を来年の卒業研究などに活かしたい。

山田怜央
メカ班として1年間担当してきました。Mirsを巨大化するというコンセプトだったので比較的製作するものが多く、工場で加工することができたのでメカとしては満足することができたと思います。
後期後半ではメカの仕事が少なかったがソフト班のサポートなどである程度活躍はできたと思います。
MIRSは大変だったけれど多くのことを身につけることができ、自身の成長につなげることができたと思います。